一九九九年、ノストラダムスの大予言を信じていたおばかさんたち、お元気ですか? 僕は信じていました。年末のビートたけしの特番をどきどきしながら見ていました。偉そうな学者先生が、予言は二十世紀の惨事を言い当てた云々と言っているのを「やっぱり世界は滅びるんだ!」と思いながら拝聴していました。今私は宇宙人と交信している云々とばかなことを言っていたのは流石に信じませんでしたが、これは例外であって、やはり世界終末説は正しいのだと思っていました。つまり、僕はばかでした。
 結局ノストラダムスの大予言は外れ、宇宙人と交信していた学者先生はどこへ行ってしまわれたのかと、この数年間時折思うのです。やりすぎましたね! ざまあみろ! と勝ち誇った気持ちと共に。
 ただ、大予言は当たった方が絶対に良かったと、今の悲惨な生活を考えると、思わざるをえません。夢と希望に満ちあふれていた当時、僕は才色兼備で聖人君子になるのだろうと根拠のない理想を抱いていました。しかし今は、当時の理想と正反対の人間になっており、これからも逆の方向に進むことはないでしょう。僕が偉大になれない世界なんて滅んでしまえ! 勝手ながらそう考えております。
 この鬱屈とした感情、最後の審判を待つも来ないと分かっているが故のニヒリズムを、どうやったらぶち壊せるのだろうか…。一瞬考えてみますと、僕に出来ることと言えばエレキ・ギターを爆音で鳴らすことしかできません。リズム感のない頼りない音色を窓ガラスが割れんばかりにかき鳴らすしかないのです。何の目標も持たない音を、ただでかいだけの音を、ある種のオナニーとしてしか放出できない僕は惨めで哀れですが、それでこのやるせない気持ちが少しでも晴れるのなら万歳三唱してもいいのではないでしょうか。
 錆びた弦を張り替えても、いつものようにしばらくしたら弾くのに飽きて、また弦は錆びるのでしょうが、そんな挫折も見越してまた始めてみようと思います。